佐藤訪米阻止闘争の“敗北的前進”

 日本の闘う労働者・学生は、佐藤訪米実力阻止へと、文字通り肉迫し、まさに闘い抜いた。だが佐藤は、全くの戒厳令状態の中からながら、東京からワシントンに飛び発ち、「自信」と「笑顔」の佐藤・ニクソンによる日米共同声明が公式に妥結し発表されるに至った。いまや、この日米両国政府の共同声明によって、日米をふくむアジア・太平洋の全域にわたる労働者・人民に対して、日本全国を国際的抑圧の基地たらしめる恐るべき内容をもって、七〇年安保そのものが公然とスタートしたことを、われわれは痛苦をもって噛みしめる!
 この日米共同声明を区切りとして、われわれは安保粉砕闘争の新たな発展的段階を、一つの大きな“敗北的前進”として切り拓かなければならない。そのために、半年を越えて、佐藤訪米実力阻止を真正面の焦点としてしぼり上げられてきた闘いの、何が最も鋭い点かをあらためて見据え直し、それを七〇年闘争へと限界を越えて発展せしめなければならない。
 佐藤訪米実力阻止闘争は、まず、議会主義的に集約せんとする道に抗しての大衆的実力闘争として形成されてきた。社会党は最大の選挙スポンサーである総評民同に押されて実力闘争を展開する反戦青年委員会と全学連から手を切った。日共は素町人的民主主義のトリコになって「自警団への協力」を進め、小ブル票におもねりっぱなしである。そしていま、佐藤と政府・自民党は、日米共同声明を選挙の洗礼によって「国民的合意」の姿に仕たて上げ、七〇年安保闘争を「国民」の圧力によって封殺しようとしている。
 突破するためには、実力闘争の戦線そのものの自己批判として、プロレタリア的実力闘争を発達せしめなければならない。「プロレタリア革命は繰り返し自己批判する」というプロレタリア的自己批判は、単に「誤りは自己批判しなければ裏切りとなる」として、私的個人の頭の中での七転八倒に過ぎぬものではなく、労働者大衆自身の闘いが、自分自身の根底へと迫り、最も普遍的な共同性へと到達してゆく過程の推進を意味する。
 日米共同声明は、七〇年安保をまさにアジア太平洋圏安保として、アジア・太平洋地域の労働者・人民の社会的隷属状態を政治的に維持し強化拡大せんとするものであることを、ほとんどムキ出しに突きつけている。だが音をたてて進行する工場(学校・職場)制度そのものの帝国主義的改編の中から、この資本制生産様式を「桎梏と感ずる力と熱情」が動き始めていることは、いまや疑いない。日米共同声明そのものが、この「力と熱情」への日米両国支配階級の共同の恐怖がもたらしたものだ。われわれの任務は、この「力と熱情」を徹底的に意識し、それをブルジョア政府打倒を推進するプロレタリア統一戦線へと成熟せしめることである。われわれにとって、実力闘争は巨大な労働者大衆の階級的独立の問題であり、実力または暴力は、敵に打撃を与えるために必要であるのみならず、それにおいてこそ労働者が自立してゆくのだということからそれを問題にするのである。議会の外に独立した姿をとってゆく労働者階級の階級形成こそが、われわれの問題である。

★一、羽田現地実力阻止闘争の貫徹と佐藤訪米阻止闘争の結果主義的論断を粉砕し、全闘争過程の生きた全体を問題とせよ!

 われわれ自身の実力闘争の展開についていえば、まずわれわれは次の三点に最も目の色を変えて食いつき、それを最も断乎として推進した部分として特徴づけることができる。第一に、徹底的に中央政府へ向けて突き出す実力政治闘争、第二に、ストライキ、特に大衆ストライキ、それも政治的大衆ストライキとそのストライキ実行委員会運動、第三に、労働者の大衆的本隊における頑強なスクラムを基本とした街頭正規軍戦であり、それらは“対政府へ集中せしめる工場からの反乱”ということに要約される。羽田現地実力阻止闘争は、こういうものとしての佐藤訪米阻止闘争の最後的貫徹としてわれわれにとって存在した。
 羽田現地実力阻止は羽田空港占拠にほかならぬものとして、われわれは全力をふりしぼって闘い抜いた。それにもかかわらず佐藤は飛び発った。そこで、こんなコダマが返ってくる――「空港占拠と大言してできなかったではないか。」
 まず第一に、われわれは羽田現地実力阻止闘争=羽田空港占拠闘争を貫かなかったのではなく、まさに貫徹し抜いたのだ、ということが重要である。あらゆる可能性を汲みつくしてこの闘争=生きた過程を貫き通し、力及ばずして佐藤は発ったのだ。敵と味方の関係からすれば「阻止」という目的そのものが間違いだというものがいるかも知れぬ。「阻止」か「抗議」かということを、卑俗な「できるかできないか」論に止めていないということは、すでに沖縄の闘いが示している。われわれは「実現可能な範囲で」というかのポッシビリスト=改良主義者の言葉でしか「阻止」を理解できないものにはそうさせておこう。犯罪的な対外政策について第一インターナショナル創立宣言が言っている「もし可能ならばこれを実力で阻止し、たとえ不可能でも力をこめて弾劾する」ということは「阻止」と「抗議」を二つの闘争にふりわけることではなく、現実に犯罪的対外政策を許してはならぬとする(すなわち、佐藤を行かせてはならぬとする)一つの闘い=生きた過程が、あらゆる条件、可能性を汲みつくして実現に向っている姿にほかならない。総評民同がどういう態度で「阻止ではなく抗議を」ということを言ったかを考えれば、それは明らかなことである。
 第二に、しかし「阻止」を掲げながらの今日のポッシビリストもいる。この「革命的」ポッシビリストは「空港占拠は空文句だ」といいながら佐藤訪米の当日、往復デモをやっている。これが正しいとすれば彼らの学生の前夜の火炎ビンは何のためのものか? 「革命的」学生には当局は往復デモさえも許さず、往復デモを貫徹する手段として止むを得ずそれを使っているのか? それとも労働者と学生の組織的闘争が異なるからだというのか? 労働者と学生の大衆闘争はその過程からして当然異なる。しかし佐藤訪米実力阻止の課題としては同じはずだ。そして羽田での阻止は空港占拠とほとんど同義語である。学生の火炎ビンがはっきりとした実力阻止を貫かんとするものであれば労働者の往復デモなどは全くの間違いであり、実力阻止を放棄した往復デモが正しいとすれば学生の火炎ビンは全くの誤りである。無目的の火炎ビンであり、無目的の往復デモだということによってのみ首尾一貫する。こんな「闘争」がわかるものはわかるがいい! 結果(現象)主義になってはならぬという連中のこの「羽田占拠は空文句だ」という批評は、佐藤訪米阻止そのものを空文句にしてしまう種類のものである。生きた全体とは生きた過程を包含するものだということを、現実に貫くことのできぬものは、結局、実践そのものを全く無責任なものにして他の無責任をあげつらい「組織戦術の緻密化」の悪魔になることによってのみ自分を「革命的」だと想像することができる。感情的な生きた過程(内容)が実際には何ものでもないものとされるこの革命的ポッシビリストは、実は最大級の革命的空文句主義者として「言ったことをやらないではないか」といい、自分が他人から何で攻撃されるのかわからなくなっている。
 そこで、羽田に肉迫する過程をもう少し詳しく問題にし、佐藤訪米阻止の実力闘争の生きた全体を厳しく見直すことにしよう。それによって、議会主義的集約の大きな流れの中で、実力闘争が決して削り落としてはならない鋭い牙、議会主義的集約の突破のために発展せしめるべきプロレタリア的実力闘争の鋭い点を見失わないことにしよう。

★二、街頭実力闘争と「肉弾の思想」――ブルジョア的暴力思想を暴き出し革命的暴力主義の権威を打ちたてよ!

 羽田現地実力闘争におけるわれわれの闘いの生きた過程は、頑強なスクラムを基本とし、その貫徹を防衛するに必要な武装をした突撃隊をもってする密集した労働者部隊と、労働者大衆の戦闘的決起と呼応して進む必要な武装をした学生部隊による、佐藤訪米実力阻止の政治的街頭実力闘争の貫徹である。池上から蒲田へ突入してゆくわが労働者の屈することのない苛烈な団結力をもってする進軍は、われわれの誇りの集中的表現である。ガス弾の直射も棍棒の雨も崩すことができず、機動隊が二台の装甲車で突込むことによってやっと解くことができるというスクラムの進軍、しかも崩れても崩れてもまた結ぶことのできる血と肉をもった団結した闘いは、機動隊の数段の阻止線を実力突破する団結した労働者諸個人の闘う人格性は、かの「肉弾の思想」のいかなる批判としてあるのか? 「革命の現実性」をふりかざして、ありうべき革命的状態(結果)を思い描き、このイメージに現実の姿を似せて理解する「機動隊殲滅」なるものについては、子供や胎児までも成人した人間の姿の単なる縮小版と思うに等しいことを、われわれはすでに批判してきた。それは実現の過程がとる生きた具体的な姿態をつかむことを放棄した“イメージ”をリアリズムだと思い込んでいる観念論であり、だからまたその“イメージ”は将来の豊かな具体的姿態によってショックを受けるほかはない現在の貧弱な延長にすぎない。しかし、いま問題にしなければならないのはこのことではない。このことに関連する闘う人間の生ける人格性についてでなければならない。何となれば、生死を賭けて闘う人間一人一人が、いま血を流しながら自らの人格性を問いつめているのだから! この「肉弾の思想」がかきたてる人間の人格性はいかなる人格性としてあるのか! それは自分自身を、その自らの肉体性をいかなるものとして受け止め取り扱っているのか? それは「肉弾三勇士」といかなる意味で区別されているのか?
 第一にこういうことがある。マルクス主義は自分自身を手段とする社会の批判としてある。「他人を自分の手段とするとともに自分自身をも自分の手段とするほどに堕落した市民社会」(『ユダヤ人問題』)の批判としてある。自分の昼の生活労働が、夜の生活の単なる手段であり、自分のつくる物が自分自身の欲望の対象ではなくて他人の劣情に秋波をおくるものであり、自分の欲するものは自分の所にはなくて他人の所有するものであり、それを享受するための手段として自分自身の感性的活動、労働がある。自分自身が自分の肉体性が、自分の手段になり下がってしまっている!
 しかし第二に、生きかつ死なねばならない諸個人の肉体性とは、生ける人格性であって、決して自分の肉体性は自分の単なる手段ではない。実存哲学は(ヤスパースははっきりと言ってしまうのだが)、「肉体は人間的人格を実現するための手段である」(『実存哲学』)とするが、マルクス主義は「一人の人間の肉体性、すなわち生ける人格性」(『資本論』)ととらえる! 自分自身の肉体を疎外された精神、「自我」などの奴隷などとは決して理解しない。それは生ける人格性なのだ!
 そこで第三に、階級闘争が「肉体をもった矛盾」に至るに何の不思議もないのは、それが桎梏に抗する一人一人の人間の生ける人格性の発展の闘いとしてあり、発展せんとするこの生ける人格性は発展せんとする肉体性として、現実的制約=桎梏を突破する闘いであるからである。プロレタリア階級闘争は、諸個人の全面的発達、すなわち生ける人格性にほかならない諸個人の肉体性のうちに存する肉体的精神的能力の自由な発展の闘いなのであり、自分自身の肉体性を自分の手段にするどころか、この生ける人格性=肉体性の無限の発展として、死を賭して生き抜こうとするものである。こういうことであるからこそ「血みどろの闘いか、しからずんば死、自由か、しからずんば無、問題は厳としてこうたてられている」(ジョルジュ・サンド)をマルクスは『哲学の貧困』の結びに引用したのだ。
 したがって労働者の革命的攻撃精神と武器(火)の使用について「労働者は防衛のためのみに火を用いた」(『フランスの内乱』)ということに誤解があってはならない。それは臆病に引きこもっている人間が、敵に攻撃されたときに止むを得ず火を用いるのだというふうに理解してはならない。自由な生ける人格性=肉体性を発展せしめんとする闘争の貫徹を防衛せんとすることを意味する。それは有産階級が建物(私有財産)を闘う労働者=人間から防衛するために火を用いるのに対して、労働者は人間が生き抜くために(自由に発展するために)最後の方策として、自分たちが消えさるときは全有産階級とその全文明が消えさるのだということを賭して建物に火を放つという意味をもつ。放火罪を極刑をもって罰せんとすることのなかには、この有産階級の階級的恐怖がふくまれている。
 第四に、そして最後に、この「肉体をもった矛盾」は「この生産様式を桎梏と感ずる力と熱情」が動き発展したものとしてあるのだ。プロレタリア階級闘争としては、資本制生産様式を、つまりこの強制労働の牢獄である工場制度を「桎梏と感ずる力と熱情」が動き出したものである! 「身を弾にして最もよく闘うものが、また最もよく生還できるのだ」ということがいかに軍事的真理であろうと、そこで「生還」がいかにいわれていたにしても、それがブルジョア的人格としての生還であることは問わないとしても、帝国主義的工場制度を「桎梏と感ずる力と熱情」の発展として闘うのでない限り、決してプロレタリア的武装闘争の意識的な推進などを語ることはできない。そして「資本主義生産は一種の自然過程の必然性をもってそれ自身の否定を生み出す」(『資本論』)ということは、労働者の生ける人格性=肉体性の自由な発展として、つまり、奴隷化された労働の解放として、すなわち「自分たちの共同による自分たちの労働の支配」として、この工場制度そのものとの「肉体をもった矛盾」として衝突することを意味する(われわれを「肉体派」だといって慢罵するユウレイ派の決して理解できぬこと!)。
 以上の全てによって、「肉弾の思想」は、ブルジョア的人格の暴力思想であり、革命的暴力思想であることは決してできない! そして、また以上の全てのことは、同時にわれわれ自身の闘いにおいてどこまでも深め、かつ貫き通してゆかねばならないものである。「市民の生命と財産に危害を加える」という大キャンペーンがいま展開されている。支配階級はわれわれを追い込んで否応なしにそうなるように仕向ける。
 少しばかりの財産にしがみつき自分だけの平穏を求めて他人の運命に白痴的に無関心な素町人的民主主義の財産騒ぎには戦術的配慮ですむが、その生命については肉体性を生ける人格として取り扱うプロレタリア的配慮を戦略的に発展させることによって、支配階級の例の大キャンペーンをプロレタリアートの道義的力によって突破してゆかなければならぬ。
 ついでに、この「肉弾の思想」の持ち主を、暴力は手段にすぎぬ、マルクスが暴力を「助産婦」といっているのを知らないのか、と言って非難する連中の「武闘主義者」批判の的はずれについて注意しておこう。この「助産婦」は手段に過ぎないのではない! 暴力は敵に打撃を与えるに必要不可欠であるだけではない。それは同時に血と肉をもった労働者諸個人が自分自身の存在を変化させ発達せしめるための方策としても必要なものである。暴力は手段だとして暴力の「自己目的化」を攻撃する者は、自分の人格性を幽霊化して、自分の肉体性をこのユウレイの手段に堕しめるものであり、自分と他人の肉体をこのユウレイの化身だとするものであり、暴力を手段とする神の高みに立ったと思い込むこの人格は、隠微な世界で「思想の物質化」をとなえて、他人の思想を亡ぼすためには結局のところ他人の何よりも脳髄をたたき割ることを真先に行ない、廃人製造屋の白色テロの奴隷になって何ら疑うこともできぬほどに悲喜劇的に腐れ果てている。そして、肉体性として生ける人格性ではないこのユウレイは、現実的制約=桎梏に対抗して自分の肉体性=人格性を発展させるようなそこらの現実的人間などではないのだから、感性的実践による自分自身の感性的世界の無限の拡大なしに、ただ霊界で観念的制約を「乗り越え」ようと七転八倒の「運動」をして見せるのである。こうして自分は全くの不毛な石女になりながら、他人の「破産」を勝手にのたもうて、すさみ切った「目」をキョトンとしているのである! 思想が「人々が自分の現実的衝動を意識して闘い抜く形態」であるような人間の思想などではないのだから、そんなものはまだ地上に足を残してユウレイになり切っていない「基底体制還元主義」だとして睥睨するための材料にすぎず、そんなときだけは、自分のきたならしい、あわれなプライドが満足されて、「目」は倒錯した光にギラつくのである。
 マルクス的皮肉とは似て非なる彼らの際限のない悪罵には、レーニンの「政治における悪罵は不毛化したことの証明だ」ということが教訓である。
 われわれは“工場からの反乱”として、幾百万を擁した公然たる革命的武装反乱として現実化するための、現在の過程を推進しているのであり、それは資本制生産様式を「桎梏と感ずる力と熱情」の組織的展開としてのみ可能な、まさにプロレタリア的政治闘争を推進しているものである。そういうものとしてこの過程の本質と、それにふさわしい形態を問題にしている。そこで、政治的街頭実力闘争に出てゆく生きた過程の闘いとして、次に政治的大衆ストライキを問題にしなければならぬ。
 暴力を単に手段とすることと暴力の奴隷となることが裏表になっているブルジョア的暴力思想は、資本制生産様式が「一種の自然過程の必然性をもって生み出す」ところの「肉体をもった矛盾」として意味を持つプロレタリアートの革命的暴力主義と、こういうものとしてのプロレタリア大衆の不可避な武装の道とは全く異なり、これと断ち切れた勝手な武装やテロルは、まさに工場制度そのものが必然的に生み出すプロレタリア大衆的武装と結びついた革命的政治ゲリラ(われわれのゲリラを見よ!)と革命的テロルとは全く異なって、厳密な意味をもってまさに白色テロルでしかあり得ない。

★三、大衆的政治ストとスト実運動

★★大衆的行動委員会運動の拡大の中から断乎たる革命的労働者党を生み出し、その拡大再生産を通じて行動委員会を結びつけ発展せしめよ!

 われわれは、労働者の最強のスクラム進軍に集中的に表現される断乎たる政治的街頭闘争とともに、ストライキ、しかも大衆ストライキ、特に政治ストライキとストライキ実行委員会運動に最も真剣な努力を傾注した。他の多くの人達(労働者)とも最大限に協力して、このためにはどんな可能性、条件をも汲み尽くさんとして闘い、東京、関東、東北、北陸、東海、関西、九州の全国にわたって、また官公労、民間を通じていくつかの突出した拠点的闘争と、それに続く大衆的ストライキのための濃淡さまざまの闘いを展開した。この闘いは、一一・一三のはるか以前からこれを実現せんとするはっきりとした目的意識をもって準備され、一〇・二一における部分的実現を一一・一三の大衆的極端化へと押し上げていったのである。
 かつて、戦後日本の本格的な帝国主義的対外政策の開始を意味する日韓批准阻止闘争において労働者・学生の最初のヘルメット部隊を形成して最も断乎たる街頭政治闘争を展開するとともに“一点突破・全面展開(革命的団結)”をかかげて、数年前から取り組みを開始していた行動委員会運動を引き継いで日韓・反合の“ストライキ委員会”のために全力を尽くしたが、この経験を通じて産別・地区の行動委員会を推し拡げ、日韓闘争においては殆んど実現に至らず、ほんのかすかな予感的な実現形態(これには到達したのだ。例えば東水労第一次労研を見よ!)をもつにすぎなかったが、例の「革命的」ポッシビリストなどが得たり賢しと「空語」だと片づけたものを、七〇年安保粉砕闘争における今秋の一大攻防戦においてなおささやかながら断乎たる大衆的実現の姿を見せはじめるに至った。われわれは、七〇年安保粉砕闘争を通じて、反駁し難い確固さと規模とをもって、このスト実運動・行動委員会運動の広範な大衆的承認を獲得するだろう。
 日韓以降、“一点突破・全面展開(革命的団結)”にどれほどの非難の慢罵が投げかけられたことだろう! 民同や社会主義協会が「それは一揆主義だ」といえば、例の「革命的」ポッシビリストも情勢無視だのサンジカリストだのとかたちを変えてこれに唱和する。民同が自分の足元の労働者大衆が自立するのに恐怖すること、及びこの民同運動に陰険にのめり込んで機関乗取りに血道をあげることをもって組織的「乗り越え」だと夢想する連中が、われわれのこの組織的運動を理解できぬのは当然である。
 第一に、“一点突破・全面展開(革命的団結)”は、情勢の問題ではなく闘争の問題なのだ。レーニン流の言い方をすれば「それはただ闘争が、闘争だけが決定する」という問題である! そこにあるあれこれの諸条件を勝手にあげつらいその道を取ったり取らなかったりするような問題なのではない。そこに存在するあらゆる諸条件の可能性を汲み尽くして、資本のもとでの大衆自身の切実な要求のために、古い団結の形式を一点から突破し生ける大衆諸個人の発展にふさわしい新たな団結を形成してゆく運動であろう。これは労働者運動が解放に向う運動である限り、不断に推進されるべき道にほかならない。資本主義体制が一点への攻撃によって瓦解するなどと誰が夢想するだろうか。しかしこれとても、自由な共同労働の例証的実現としての協同組合工場に典型を見るような「資本制生産の枠内における資本制生産の止揚」を、労働者の実力闘争によってわれわれは闘い抜くのである。
 そして、しかし重要なことは、このような真剣な資本との対決を、古い団結の一点突破として闘わなければならぬということである。労働者の新たな切実な資本との格闘は、新たな団結をもってでなければ不可能である。ところが、この新たな団結は、古い、強大な、しかし労働者の切実で新たな要求のための闘争にとってはいまでは桎梏となっている団結の突破として現れるほかないが、これは古い全国的な団結は部分的団結によっては決して突破されず、逆に粉砕されるだけだとして結局の所、労働者の新たな切実な要求にも良く、さりとて古い団結をも怒らせることなくというすれすれを踊って新たな労働者の闘いを去勢し(その裏側は、古い団結はもはや反動的となったということをそれぞれの外に「離脱」することをもって左翼的とし結局古い団結は外的な攻撃による「ナショナリズム」的防衛によっていつまでももたもた生かしておくことになる)、古い普遍に対する新たな普遍になるのだと古い団結における長い長い陰謀的組織活動の果てに、ある晴れた日に突如「実現」されるようなものではない。
 そんな「実現の過程」は、言葉の厳密な意味で観念的であるのみならずまさに空想的であり、かつ労働者を最も悪い意味において、すなわち新たな左翼の登場という期待をもたせてそれを台なしにしている意味において、裏切るものである。なぜなら、古い団結の普遍性に現実的に対立し、それを現実的に桎梏とするものは、生ける労働者の現実の、新たな、切実な、より根底的な要求そのもの、この感性的欲望そのものである。この要求・欲望そのものが、その切実な内容において、古い団結の形式をすでに乗り越えている(この限りでは「乗り越えるべきだ」でさえない)のである。だからこそ古い団結が桎梏となっていると現実にいえるのだ。どんなに思想などの「先取り」がいわれ得ようと、「思想」はこの後からあらわれるほかはない。そしてこの古い団結を、現実に「桎梏と感ずる力と熱情」としてあるこの生ける労働者の欲望、衝動を強烈に意識し、この内容にふさわしい団結の形式を見出し、そうしてこの闘いを貫徹させるものとしてこそ思想は意義をもつことができる。そこにこそ「思想の物質化」の意味があるのだ。こういうものとして、労働者の切実な新たな要求のために闘うという内容にふさわしい新たな団結を例証的に実現し、この新たな部分的団結(新たな普遍的団結の萌芽形態としての部分的団結)をもってする闘い(この闘いなしには大衆の新たな欲望は発展することができず逆に去勢されもする)こそが、小ブル的ショック主義とは全く異なるプロレタリア的衝撃力=波及力(大衆的になることによってラディカルになるのではなくラディカルになることによって大衆的となる)をもって、古い普遍的団結の破壊と新たな普遍的団結としての再生の推進力となるのである。これを削り落として何の新たな普遍的団結があり得ようか! 普遍的団結にとっての意義を削り落すゆえ、資本と敵階級に対する闘争をいつもいいかげんに取り扱い(すなわちすでにみた構造によって、大衆をなかば不満なかば満足の状態で釘付けにして実践的には全くの日和見となり、その理論的にはその合理化の理屈、すなわちこの生産様式を「桎梏と感ずる力と熱情」を意識して断乎たる現実的闘争にふるい立たせるものではなく、それを単なる理論化のための「過ぎ去った一契機」に陥しめ、しかもその闘いを「組織戦術の欠如」とか「実体ぬき」だとかと称して、日和見的合理化の理論の実体、すなわち文字通りの観念的実体の化身に身を堕した「前衛党」によって本来の意味で抑圧し、こうして陰性の日和見主義を完成する)、こうしていつも大衆をだまし続けるための「組織戦術の緻密化」狂いにならなければならないわけだ。
 これを削り落しての長い陰謀的「組織化」によって何か古い団結にかわるものがたとえ現れ得たとしても、そんなものは、何ら内容的に新たなものではあり得ず古い団結の皮相な外観だけが変わっての古い団結の再生産、新しい見せかけをとって人々を欺くもっと腐臭フンプンたる古い団結の時期はずれな固執形態、保存形態、古い団結が生き残らんとするもっとも反動的な最後的形態ともいうべきものにすぎない! 古い団結を突破する新たな団結の形成の問題は普遍的普遍の問題である。なるほど普遍対部分のままではその部分の敗北は明らかだ。だがこの新たな普遍は新たな個別をもってのみ開始されるのだということを忘れてはならない。新たな普遍的団結の「実現の過程」は、この新たな個別、新たな普遍的特殊、すなわち労働者大衆の新たな共同の欲求を自らのうちに凝縮して意識している共同的労働者の部分的団結の恐れを知らぬ全面展開、古い団結によって粉砕されるかそれを粉砕して自らを実現するかの、倒すか倒されるかの、食うか食われるかの、しかし新たな普遍的内容をもっているが故に不可避的に勝利するほかはないところの、不断の、生死を賭した生きた全過程であり、そういうものとしてのみ過程と結果とを包含する生きた全体であり、革命的労働者党の意義と名誉こそは、この無数の個別的普遍を結びつけ統一し、拡大し、発展せしめるというところにのみ存する。フォイエルバッハはうまい言葉をあげた――「鐘は一点が破られればもはや鳴らなくなる」と。現実的個別の偉大なる意義を知るものだけが現実的普遍の偉大な意義について語ることができるのだ!
 そこで、しかし第二に、“一点突破”についていえることを、大衆ストライキとストライキ実行委員会についてそのまま繰り返すだけでは充分ではない。ここでは、諸条件のあらゆる可能性を汲み尽くしてこの“一点突破”の突出した闘いを生み出しそれを発展させるということを、ほかならぬ大衆ストライキとスト実の実現として問題とするからである。諸条件を大衆ストライキのための諸条件として、まさに大衆ストライキという一つの特定の目的の実現のための闘争として汲み尽くすことが問題なのである。それは、一方ではその闘争のための対象的条件またはいわゆる客観的条件、ただし闘いにとって単に受動的にいや応なしに承認を迫られるだけではなく闘いの能動性をもたらしかつ闘いが能動的に働きかけてゆくべき条件が、他方では主体的条件、ただしそれはいわゆる「力倆」ではなく力倆そのものが発達する条件、闘いの歴史がつくった条件、また闘いが新たにつくり出さなければならぬ条件、しかも前者がいまでは桎梏となり、したがってそれを桎梏とする「力と熱情」がすでに存在しその桎梏そのものによって後者が鍛えられ育つというような条件が問題であり、かつその闘争、それらを条件として闘う活動そのものが不断に準備されて来ているのでなければならない。

★★その対象的諸条件――帝国主義的工場そのものの革命的破壊的側面

 まず大衆ストライキの対象的諸条件についてはどうか?
 「客観情勢の無視」だとののしる連中がいる。こうつぶやく彼らが見失っているものこそは、今日の工場の現状である。しかもその悲惨な消極的側面のみならず、その工場そのものの革命的破壊的側面・積極的側面である。今日の工場は資本主義体制の国際的性格の突撃のような発達とともに一つの巨大な転形期にあり、工場(学校・職場)の“近代化”、すなわちその帝国主義的改編の音を立てて進行する恐るべき渦中にある。それは強制労働の牢獄としての驚くべき発達であり、労働を奴隷化するあらゆる方法を、すなわち労働において労働者の肉体性を生ける人格性としてではなく単なる手段として取り扱うあらゆる方法を発達させ、「合理化」が実は労働力の驚くべき濫費・濫用として、労働者の悲惨を拡大しつつある。ただそれが、労働者の「不足」によって労働者が「流れる」(労働者相互の競争の激化)ことによって隠蔽されているに過ぎず、それとても合理化の突撃による不断の過剰化によって消されようとしている。他方それは労働者への人間的苦痛の強制とともにこの資本制生産を桎梏として感受する労働者のまさに「力と熱情」を育て、豊かな普遍性への欲求、全面的に発達した人間への傾向を生みだしている。
 この苦痛と激情、力と志向を生み出すということこそ帝国主義的工場制度そのもののまさに唯一の革命的破壊的側面である! この資本制生産様式を「桎梏と感ずる力と熱情」の動きを展開したものこそプロレタリアの団結であり、階級闘争であり、“コミューン”こそはこの階級闘争のまさに「所産」なのだ。この“苦痛と激情”と“力と志向”を削り落してしか情勢を理解できないユウレイ派だからこそ、「情勢無視」とののしって自分がプロレタリアの現状を無視しているのに気づかず、この「力と熱情」を強烈に意識し団結をもって発達せしめんとする闘いを、やれ「ボロボロ貧困化」論だとか、こともあろうに「山猫スト主義者」という恥ずべき慢罵を投げかけ、「大衆闘争(階級闘争)と革命闘争の区別と連関」という最も厳格な意味での“宗派”になり下がり、遂には「職業的挑発者集団」というスターリニストの言葉をもってこの資本制生産様式を「桎梏と感ずる力と熱情」の組織的展開という血と肉をもったプロレタリアのまさに革命闘争である階級闘争に敵対するのである!
 だから、徹底的に「労働組合を意識した」ところの“近代的労務管理”が恐るべき姿で発達しつつあることこそ、それ自体が今日の工場制度への労働者の消極的積極的抵抗の増大しつつあること、自由な共同労働への衝動が増大しつつあることを証明するものであり、それによって大衆ストライキの条件がないなどどころか、それに現実的に対抗してゆくものとしてこそ大衆ストの苦闘があるのだということは言うまでもない。

これを忘れているのが民同であり、社・共であり、しかも悪いことに自分の忘却を思い上りに変えてそれに合唱しているのが、革命的マルクス主義ならぬ「革マル」主義の、わがユウレイ派である! だからこそこの血肉を削り落したユウレイは、労働者の断乎たる政治的大衆ストライキと政治的街頭実力闘争への屈することのない追求に対して、「闘争形態上のエスカレート」や「階級闘争の現象上の高揚」の延長上に革命を夢みるなどといってすべてをごちゃまぜにして自分をも他人をも欺き、この「肉体をもった矛盾」の展開こそが階級闘争=革命闘争であること、この断乎たる攻撃の闘争においてまたこの闘争を通じてのみ労働者が革命的に成熟しつつあることを知らぬ彼らは、対政府の攻撃に喰いつくのでもなくストライキに力を尽くすのでもなく、階級闘争とは区別された「党」を、しかも現在的には「革命闘争」については何もしない、正確にいえば感性的活動=実践はしてはならぬ(=「大衆闘争の革命闘争化」などあり得ぬししてはならぬ)という全く血と肉を捨象してしまった「イデオロギー的組織的」という文字通りの“学派”を、背後で隠微に用意していれば「革命的」という免罪符を手に入れて思い上がることができる! まさにユウレイとして、小ブル的「肉弾」のみならず労働者の血肉性までもごちゃまぜにして(階級闘争も大衆闘争も彼らにとっては同じことにされている!――小ブルの特徴)「肉体派」への罵りで、自分自身のユウレイ性を証明しているのである。

★★その主体的諸条件――“離脱”の「世俗的エゴイスト」と“埋没”の「神学的エゴイスト」

 次に、主体的諸条件についてはどうか?

 かのユウレイ派によると、「はみだした左翼」(「肉体派」)が「武装蜂起主義」者と「山猫スト主義」派に「二極分解」したのだそうである。彼らにとっては「ハミ出す」ということと「飛び出す」ということが全く同義になっている! 遺憾ながらハミ出んとしているのはわれわれだけであって、小ブル肉体派は“飛び出す”(こぼれ落ちる)し、ユウレイ派は“のめり込む”という状態である。「二極分解」とは小ブルにおける“肉”と“霊”への分解、それは“離脱主義”と“埋没主義”を呈している。わがユウレイ派が「ハミ出し」と「飛び出し」を一緒くたにしたのは偶然ではない。彼らの民同、社・共の「乗り越え」は、何ら「乗り越える」ような感性的内容(桎梏を桎梏としてハミ出んとする内容)全くなしなのだから。彼らは「肉体派」にわめく。――「今日の民同、社・共支配のきびしい現実」を頭の中で無視している、と。そこで、民同、社・共によって大衆が「ねむり込まされている」とか「しめつけられている」とかいって、「社・共からの解放」のキビシイ、困難な、「苦闘」を語る。総評民同や社・共の「支配」がきびしいことを、政治的大衆ストライキの断乎たる追求を放棄する理由とするとは驚くべきポッシビリストである! 帝国主義的工場制度を「桎梏と感ずる力と熱情」が動くのだからこそ民同、社・共に抗してこの闘いをあらゆる可能性を汲み尽くして追求することはわれわれにとって自明なことだ。

 民同、社・共に「しめつけられる」などは、シメツケラレルような現実的内容を突き出しつつあるものだけが言えることである。「社・共からの解放」とは、それらをまさに“桎梏”としてハミ出してゆくことだ。ユウレイ派の「乗り越え」にはその現実的基礎がない。そんなものは「基底体制還元主義」の「肉体派」なのだ。だからこそこのユウレイには現実的桎梏などもありはしない。だからこそ、民同、社・共、社会主義協会に「加入戦術」などをしても、現実に決裂してゆくような分派闘争とはならずに「陰謀」でしかなくなるのだ。
 こんな「苦闘」などに感心した「労・学共闘の革命的実現」・、民同、社・共が闘わんとしている労働者にとってまさに桎梏となっているからこそ、ユウレイの「フラク」などではなくて闘う大衆の大衆闘争機関である行動委、スト実をもって、しかもそれらに対する単なるイデオロギー的な憎しみの化け出た「闘争」や、それらから飛び出して「自由」になった「闘争」などではなくて、ほかならぬ資本制生産様式を「桎梏と感ずる力と熱情」の動き出したものとしてのプロレタリア政治運動=社会運動を民同的、社・共的桎梏に抗して展開しなければならぬわけだ。かのユウレイ派が唾棄するこのような「大衆闘争の革命闘争化」を現在的に推進しなければならぬ。こういうものとしてのみ「しめつけ」がいわれ得るのだし、こういう闘いをとおしてのみ「ねむり込まされている」労働者を目覚ますことができるのだ。
 この社会的政治的運動の推進としてのみプロレタリアの“ソヴィエト”運動を現在の直下にもつのだし、このことを抜きにして、現在についても将来についても、ソヴィエトなどを語ることはできない。
 今日、何か切実な要求のために闘い抜こうとする労働者にとっては、総評・中立労連の民同的秩序づけが問題であることは常識となりつつある。それは単に「革命論」的にナンセンスのみならず、直接の闘争生活においてナンセンスになりつつあり、むしろ「革命論」こそが、これに正鵠を得て回答せんと格闘することによって作りかえられなければならない。ナンセンスにも色々ある。日経連の前田前専務理事なども今日の民同をそういうのだ。この“ナンセンス”ということが闘う労働者にとって何であるのか――われわれにとってはこのように問題がたつ。ところで、労働者生活の全体について、民同も民同なりに多かれ少なかれ積極的にか消極的にか取り組んでいる領域もあり、また消極的にか積極的にか放棄している領域もある。
 第一の領域または段階とは、一口にいって資本の先行する運動の広範な諸結果であり(マルクスのいう労働組合の「第一の資格」、「元来の目的」)、それは結局賃金と労働時間をめぐる問題だが、今日では複雑に分岐した多様な形態をとりかつ「労務管理」なる資本の今日的支配に関連している。第二の領域または段階とは、おしなべて資本の運動そのものであり(マルクスのいう労働組合の「第二の資格」)、それは今日の産業合理化運動であり、資本の運動の政治的姿をとったものとしての全ブルジョア政治であり、帝国主義的対外政策であり、そういうものとしての日米共同声明によるアジア太平洋圏安保の出発であり、さらに、経済の領域においても、政治の領域においても資本の支配権(単独資本家であろうと株式会社のように結合資本家であろうとその手ににぎっている資本所有の属性たる支配権=“社会的権力”と、それを永遠化するための“政治的権力”)そのものである。結論からいえば、第一の領域についてわれわれが民同なりの取り組みをするだけならば、われわれはただ民同の手足になっているに過ぎない。そして、第一の領域から第二の領域へ実際に踏み込まんとする闘いとしてのみ第一の領域での“民同なりのやり方”と実際に衝突するのだし、ここでは政治的なまたはイデオロギー的な姿をとりながらの資本と労働者の欲求そのものに注意しなければならぬ。そこで“民同なりのやり方”とは何であり、また“民同を乗り越える”とは何であるのか、さらに“民同による闘いの歪曲”とは何か? 一般に闘いの“永続”的発展とは現実に何を意味するのか? 民同は、未発展の闘いだからこそ第二の領域を段階的に発展せしめ得ないのではなくて、この領域の断乎たる段階的発展を放棄しかつ拒絶しているのである。
 つまり、今日の資本の必然的=法則的運動としての産業合理化そのものに「歴史の趨勢だ」として屈服し、かつ「近代化そのものは社会進歩だ」として協力するに至っているのである。このことこそは民同は闘いの“現実の一定発展段階を最高の発展段階として固執する”ものとしても、本来の意味で“反動化”しつつあるということだ。そしてそれが闘う労働者にとって「ナンセンス」とされることのうちには、この段階を越える新たな欲求が彼ら労働者にすでに芽生え、その段階への固執を「桎梏として感じる」ことが始まっているのを示す。従って民同的な段階には「真実性すなわちその現実性と力」が全くないのではなくて含まれているのだとということ、しかし次の段階に進まないし進ませないということによってそれはただ歪曲された諸形態にあってのみ含まれているのだということ。こうして歪曲とはその発展段階を“固執”するということでなければならず、だから新たな労働者の現実的欲求の発展にとってこそそれは新たな桎梏を意味することができるのだ。ここで厳重に注意すべきは、民同がもはや何らの政治運動もしなくなるということではなく、それに政治の否定もまた強力な政治的態度でもあるわけで、現実的欲求の民同的発展段階の政治的表現として「日韓条約には闘えない」であり、「佐藤訪米抗議」であり沖縄の「核つき・基地自由使用返還反対」というのっぺらぼうな不満である。
 こうして、一つにはこの民同的世界をそのままにして、民同の「改良闘争」を大衆闘争として推進する点が革命的左翼の民同と異なる所だとして“埋没”するかと思えばすぐ反転して、そこから“離脱”するのでは、それ以上のものをくっつけることは不可能であり、民同的桎梏をハミ出る現実的内容の展開ではないのだから、それはどんなに民同的政治運動を乗り越えたと自分を想像しても、それは姿を変えた小市民的政治として労働者を包摂する新たな桎梏さえも意味するということ(『中核』について)。
 また一つにはプロレタリアートの各発展段階は労働者の現実的欲望、感性的世界の発展段階であり、そういうものとして労働者諸個人の全面的人間への発展段階であり、この発展を、つまり資本制生産様式を「桎梏と感ずる力と熱情」を組織的に展開するものをサンディカリストとみることしかできず、自分もまた前者と同様に、労働者大衆が階級として行動する階級闘争ものっぺらぼうに大衆闘争一般に貶め、それらはまたのっぺらぼうに「改良闘争」だという窓でしかみることができず、かくして、現実には革命闘争は何もしないでいてしかしそれをなしていると想像する全く理念化された“革命そのもの”の実体の化身として驚くべきことに、また当然にも、階級闘争との「区別と連関」ということで、一方では、まさに現実の階級闘争からそれこそはっきりと「飛び出し」かつ、この階級闘争に対して睥睨し号令し、他方ではこの全くの観念的実体によって新たな枠づけを余儀なくされて単なる肉体にされた民同的世界に“埋没”するのでは、どんなに「乗りこえる」とか、闘いを「永続的に高める」とかいっても、たとえ「憲法擁護」の民同的スローガンを「憲法改悪阻止」に変え、民同的「訪米抗議」を「訪米阻止」に変え、民同的「沖縄返還」を「沖縄人民解放」にかえ、最後にプロレタリアートの「自己解放」を語ろうとも、資本家階級の策動を「核基地つき沖縄返還策動」として何ら疑うことなく大旗にしたて上げて「沖縄問題のブルジョア的解決」を暴いたつもりになれるような、ブルジョア的政治とプロレタリア政治の敵対の解消に典型をみるように、それは「現実を乗り越えたのではなくて現実についての理念を乗り越えたにすぎぬ」(『神聖家族』)ものとして民同的世界の単なるイデオロギー的延長にすぎず、オシャカ様である一定の感性的世界の手の内で踊っているに過ぎないということ(『革マル』について)。
 したがってまた一つには、労働者の欲求は結局のところ単なるエサであって、「思想」によって勝手に右や左に向けられるような「歪曲」は「歪曲」についての歪曲された概念であり、もしそれをなし得ていると思いこむとすれば、それは実際にはブルジョア的小ブルジョア的世界への新たな装いをこらした労働者の従属であり、新たな桎梏をも意味するし、プロレタリア永続革命こそは、労働者大衆の感性的世界の永続的な無限の拡大と発展を意識して闘い抜くものとしてのみ現実的にそうなのだということ! だから、例えば、国鉄労働者の“助手廃止白紙撤回”の闘いは、臆面もなく“核安保”粉砕を労働者の頭上の大旗とするような革命的マルクス主義ならぬ「革マル」主義や、「肉弾の思想」の下では決して貫徹できないのであって、彼らにおける安保闘争と反合理化闘争の一方から他方へ発展するような結びつきはないのだとしての「併行的推進」だとか「一方の他方へのすり変え」だとかいう「闘争構造」なるものは、彼らにとってはこの二つは確かに結びつき得ないのであって、“助手廃止白紙撤回”の中にはらまれる鋭いプロレタリア的牙が削り落とされてのみ小ブル社会主義政治と両立する。
 “助手廃止白紙撤回”の反合闘争の鋭い牙の発展は、ただ七〇年安保をアジア太平洋圏安保として助手廃止を不可避としてゆくところの、国際的な規模での労働者の社会的隷属の深化拡大のための安保として意識されるようなプロレタリア的政治への発展としてのみ、結びつき、貫徹し、勝利することができるのだ! 階級の問題をぬきにするからこそ「改良と革命」というような「場所的現在における主体的立場」のなれの果てに到達するのだし、階級の問題を真剣に問題するや、革命的プロレタリアートにとってはただ「現存社会の改良ではなくて革命」(マルクス『共産主義者同盟への挨拶』)とならざるを得ないのだ。「それ最高限綱領主義だ!」――「革マル」主義ならぬ革命的マルクス主義は、小市民の全ての現実的欲望を展開しつくしても社会改良にしか到達せず、これに反して生きた労働者の現実的欲望の全面展開はこのブルジョア社会の転覆に至るほかはないということに据えつけられているからだ。小市民の「展開された現実性」は改良でしかない。労働者のまさに「展開された現実性」は革命でしかない。「改良」とか「革命」とかの言葉をこのように使うことを知らぬ超階級的な「プロレタリアートの立場」に立つユウレイは、「コミューンは階級闘争の所産であった」という総括には「それ大衆運動主義だ」というがよい! 「労働者党は階級として行動するために労働者が自分自身に与える組織形態だ」という規定に対しては「それ前衛党の否定だ!」というがよい! 労働組合が「第一の資格」から賃金制度の廃止をめざす普遍的な社会的政治的運動のための「第二の資格」へというマルクスの呼びかけに「それサンジカリストめ!」というがよい! そんなことでは民同は一歩も「乗り越え」られはしない。
 自由な共同労働への生ける労働者諸個人の現実的衝動が、すでに「民同ナンセンス」ということのうちに動いているのだとすれば、大衆ストライキ、それももっとも鋭い内容をもった政治的大衆ストライキを追求すべき主体的条件がすでに存在することを示すものであり、大衆が自分で行きつくべき所へ行きつくようなストライキへの可能性を汲みつくされることに、民同とそれのみならず支配階級が、いまでは最大の恐怖をもって細心の政治的配慮をしていることで、それは理解されるのである。これは、一点の衝撃で全てが一挙に瓦解することを期待することとは全く別問題であることはすでに見た通りである。

★★主客諸条件を汲みつくす活動――プロレタリア政治運動=社会運動

 最後にこの対象的、主体的諸条件を政治的大衆ストライキと大衆的ストライキ実行委員会のための条件として汲み尽くさんとするわれわれ自身の活動についてはどうか?
 労働組合の内部にこのような大衆的組織を存在せしめるということは、それの存在を可能ならしめる諸条件を汲みつくしてゆく活動が、その限りでは「闘争が、闘争のみが決定する」というような活動が不屈に展開され、今日を準備しているのでなければならない。まず、政治的大衆ストライキのためには、不断のあらゆる必要な形態での政治行動が、繰り返し展開されているのでなければならない。六〇年安保闘争以降、重要な政治的行動でわれわれが断乎たる関わりをもたなかった政治行動は殆んどないであろう。こうした闘争においてわれわれを「反権力主義」といって主体の組織を忘れているのだと慢罵する連中がある。
 佐藤訪米実力阻止闘争に向けて、日韓闘争において精力的に追求した闘争構造、すなわち“政治的権力”への攻撃と“社会的権力”への攻撃との“相互作用”を、「相互増幅的発展」を、またもや全力をあげて追求してきた。
 これを「権力主義」として慢罵するものは「階級支配の政治的頂点とともにその経済的基礎を攻撃してその存在そのものをおびやかす」(『ブリュメール十八日』)というマルクスがフランス労働者大衆の階級闘争の巨大な経験的教訓を原則的に総括したこのことに、現在のこれほどの闘争の経験によっても目をつぶってそれから遠ざかっているものである。ついでにいっておけば社会的権力を理解しようとしない彼らには無理なことであるが、マルクスは同じこの歴史的経験の原則的総括において「ブルジョアジーは自己の社会的権力を維持するために政治的権力を捨てた」というようにボナパルティズムの成立をとらえていることに注意せよ! 反ファシズム闘争とこれを忘れてはならぬ。
 それは、一方では、ブルジョアジーの社会的権力とそれを永遠化するための政治的権力への断乎たる攻撃の意義を忘れた「打撃主義」批判は、自分自身が肉体をもっての“現実的本質”(驚くべきことにこれは現実性と本質とを一緒にしている肉体派であることの証明だそうだ! 本質そのものに観念的本質と現実的本質とがあることを知らぬユウレイ、だから彼らが「普遍本質論」だという『資本論』で言っている「社会的権力」は、現実の個別資本家がこの「権力」を持つなどと言っているのではないなどと言って、この本質論から現実の人間を捨象してしまい、今日の工場における恐るべき「他人の労働に対する支配権であるという属性をもつ資本所有」の支配に目をつむってしまうほどだ)たるべきことを放棄する。政治においても経済においてもまさに階級を捨象した「改良」的要求しか現実に提出しない。政治的権力と社会的権力にブルジョアジーの利害を読み取ったプロレタリアートの利害としてつきつけるということ(彼らはこんなことをしない――「核安保」)は、中心へ凝集して最も威力を発揮できる団結した力である。
 他方、これに単なる闘争形態だというふうにしか理解できぬものは、暴力を単に機能や手段に貶しめているのと同様、闘争(彼らにとっては単なる機能止まり)、それも団結(彼らにとっては単なる手段止まり)した闘争において諸個人が最もよく変化し発展するということを忘れている。社会的権力へ集中した断乎たる攻撃によって“桎梏としての工場”を確認しつつ団結において諸個人が発達する。その発達ゆえに政治的権力に向かう能力をもって部分的団結を結びつけつつ政治的権力を集中した断乎たる攻撃をもって“桎梏としての国家”を確認しつつ大衆諸個人はその闘う団結において発達する。そして連帯して闘ったそれぞれの部分的団結は勢力を発展せしめられて一段と強力な闘いをもって社会的権力を攻撃する。こうして労働組合と“階級”として行動する党が成長し、階級形成が進むのだ。「ただ他人との連帯において、また連帯を通じてのみ労働者諸個人は彼自身のあらゆる素質を各方面にわたって発達させる可能性を手に入れる」ということを忘れた組織論はプロレタリアートの組織論ではあり得ない!
 われわれは政治的社会的運動を特に日韓以降この過程的構造を意識的に推進してきた。こういうものとして行動委員会運動と分派闘争を通じた革命的労働者党の建設の道を進みつつ、それは今日の闘いにとっての予備的組織化としての意義をもつ。
 われわれはすでに、少なくとも一九六三年からこの行動委員会運動を現実に存在せしめる系統的な闘いを開始し、この課題と、真剣に格闘してきた。六〇年安保闘争においては、民同はなお広範な闘う労働者に圧倒的権威をもち、むしろその頂点に達せんとしており、ストライキ委員会は岩井の一喝によってそのかすかな呼びかけさえもかき消された。六五年日韓闘争においては、闘う労働者へのその権威は明らかに崩壊を始めており、少なくともわれわれがストライキ委員会を見つめつつもその名を登場せしめるには至らず、ほんのその予感的な形態として、多くは闘争委員会として、そして持続的な行動委員会運動の拡大として現われ、それ故に民同と社会主義協会によって手ひどい破壊攻撃を受けてきた。
 いまでは、少なくとも、なおささやかながらストライキ実行委員会(当然多様な形態をとって)の名称を公然と掲げて、濃淡の度合があれ公然と大衆ストライキのための闘いを推進し、行動委員会運動を全国的に飛躍的に拡大させつつある。反戦青年委員会はこの闘いのテコとして役立ちつつ、また反戦青年委員会は行動委員会運動の推進によってプロレタリア的性格を強めつつある。この行動委員会運動を断乎として存在せしめ、労働組合を出発点から生み直しつつ労働組合の限界を越え出んとするこの現在におけるプロレタリアの「ソヴィエト」運動に対抗すればするほど、民同は自分が「桎梏と感ずる力と熱情」を鍛え上げることになり、それはそれだけ、彼らがきれいさっぱりと片づけられることを準備することになるであろう!

★★労働組合とソヴィエトのための今日的闘争――スト・・実と反戦青年委と行動委員会運動

 そこで第三に、スト実において、また、スト実をとおして、今日における大衆闘争のプロレタリア的組織化について、要約的に見ておこう。
 われわれは、日韓闘争以降の反戦青年委員会を政治的大衆闘争機関とする断乎たる政治闘争を槓杆にして、六〇年安保闘争敗北の教訓――“労働者階級の自立”――として推進してきた行動委員会運動を、政治的大衆ストライキのためのストライキ実行委員会に転化せしめつつ、佐藤訪米阻止へ向けた大衆ストライキの部分的ながらの実現という鋭い先端をもつに至った。
 だが、もちろん全般的には、一一・一三は依然として明確に民同の枠内で、かつ、民同的に集約されたのであり、しかも、六〇年安保闘争の六・四ストとそれが区別されるべき点はといえば、それは、もはや、戦闘的闘争の推進形態ではなくてむしろ、戦闘的闘争に対する自己保存形態、つまり、一一・一三ストを打つことなしには、もはやどんな闘う労働者をも自分から離れさせてしまうほどの、民同の反動的危機感による権威をかけた再包摂の必要が主要衝動となっているものでありそれゆえに、安保粉砕・佐藤訪米阻止という課題にとっては、全く気の抜けた姿勢で、民同的頂点が投げかけたものである。
 そこで、こんなことをいう連中がある。――「独立した大衆ストをいいながら、民同ストに乗っかっただけでないか」、「山猫ストなる闘争の形態をとるかどうかに矮小化させられてしまっている」(革マル)とか、「敵に打撃を与え大衆を獲得する上で有効でない」(中核)などと。よろしい、われわれの一切の独自的努力を捨象し、われわれは、何も全くしなかったと仮定せよ。そこで民同投げかけのストライキそのものは、一体、いかなる意義をもつのか? それは、全くの無意義、あるいは、一定の意義をもつがゆえに、それだけますます闘う労働者に幻想をつなぐだけ悪質に反動的だというような消極的な意義しかもたぬとか、または、闘う労働者の圧力に押されて、とにもかくにも打たざるを得ないストライキとして「積極的」な意義があるとかで、そのストライキを投げ捨てたり、「突き上げ」たりすればいいようなものではない。
 この民同投げかけのストライキの唯一の積極的意義は、次の点にある。民同はストライキを投げかけた。大衆は奴隷化した労働を一時的に拒否し、この労働を多かれ少なかれ、一斉に見つめさせられつつ、自分の肉体を動かしてストライキをぶたなければならない。だが民同は、あらん限りの「説得」と「統制」によって、結局、労働者大衆の“自由”な展開(民同にとっては、「自由分散主義」と同義に映る)を押し止めて、自分の“枠”内に「集約」しなければならない。すでにこの“枠”内に「集約」しなければならないというところに、労働者が、こんな民同投げかけの実践においてすら、自分自身を変化発展せしめ始め、その「集約」への疑問と反抗が動き出すということを証明している。鋭くは、それを桎梏と感じる労働者大衆の「力と熱情」が動き出すからこそ、民同は、苦心もしてストライキへオルグしてやっと腰を上げた大衆が、今度は、自己展開を始めるのに対して細心にそれを封ずる方策を講じなければならず、しまいには、大衆へのあらゆる行動提起に全て恐怖しなければならなくなるほどだ! これこそが、民同提起、民同集約のストライキ行動の唯一の革命的破壊的側面であり、かの「革命的」ポッシビリストも、佐藤訪米の当日、労働者に「阻止」を掲げながらの往復デモなどをやらせていれば、自分が吹き飛ばされる同じ恐怖におびえなければならない。――すなわち、感性的実践における人間の変化の恐るべき意味を知れ!
 さて、このような革命的破壊的側面をもつからこそ、かの「肉弾の思想」の持ち主が、「敵への打撃」にも「大衆の獲得」にも大して「有効」でないと投げ捨てたものをわれわれは意識的に発展させるのだし、かのユウレイ派と異なって“極端化”の「突き上げ」を行なうのである。何故、彼らと異なった「突き上げ」かというと、彼らは、「突き上げ」の「苦闘」を語りながら、民同の“壁”にぶつかるや、自分らは「山猫スト主義者」ではないというわけでそれ以上の追求は放棄して反転して民同的機関の“乗っ取り”の「苦闘」に入るからである。
 ところが、この民同的機関との衝突は、この工場制度を「桎梏と感ずる力と熱情」の動き出したものたる衝突としてのみ、真の衝突であり、この展開と衝突するに至った民同的機関とは、それ故に、労働組合の官僚制的に改作された機関だということであり、だからこそ、それは、まさに山猫ストの内容的本性の展開の貫徹によって破壊され作り直されなければならぬということ、および“乗っ取り”などやれるものは、まさに、自分自身が「山猫スト」を官僚の物理力に堕しめ、かつ単なる「闘争形態」に矮小化してしか理解できない官僚主義者であることを自ら暴露するものである。この意味でも官僚制化した労働組合はそのまま乗っ取られるべきではなく、組織的に変革されなければならない(いわゆる「三権」の下部への奪還など)。彼らは、山猫ストをフランスのサンディカリストの伝統という特殊性のうちにしか理解せず、それを直輸入しようとしているのだというようにしか見ないが、そのことによって、彼ら自身がいかにプロレタリア運動の原則から遠く離れてしまっているかを示唆しているのだ。
 つまり「過度の中央集権(中央集権主義)は、プロレタリア運動の原則と矛盾する」という革命的マルクス主義の組織論的命題は、この「原則」を踏みはずしてしまっているわが「革マル」主義者の、どうしても理解できぬものである。今日の欧米の山猫ストとして現われているものこそ、まさに、この「矛盾」である。労働者の大衆闘争は、「この生産様式を桎梏と感ずる力と熱情」の動き出したものの“自由”な展開として、まさに革命的破壊的なのであり、これと衝突するような中央集権は、この自由な展開を圧殺するものとしてあるからこそ、反プロレタリア的、官僚的中央集権となっていることを証明するものである。彼ら労働者大衆が全国的な権威の集中を生みだすのは、それによって闘いの全国的な共同作業を展開するとともに、同時にそれは自分たちの闘いの全体を、それによって映し出し、全体として自分自身を乗り越えてゆくための“鏡”としてである。この大衆闘争を、それ自身としてはどこまでも「改良的民主主義的」として「革命闘争」と区別してしまうようなわがユウレイ派は、「官僚制的疎外形態」などをいくらいおうと無内容な言葉であって、自分自身が革命的破壊的大衆闘争に敵対する官僚群であることを示すものである。
 そしてまた、小ブル肉体派が、どんなに敵への「有効な打撃」をいおうとも、あらゆる“官僚的軍事的統治機構”を破壊してゆく闘争は、ただ、このプロレタリア運動の原則の展開としてのみ、可能なのであって、この原則は、彼ら自身に対しても破壊的な作用を及ぼさずにはおかぬものである。『革マル』、『中核』のように山猫ストを攻撃するものも、『ブント』、『共労党』のように山猫ストを持ち上げるものも、ともに、それを現象的にしか理解していないものであって、テールマン=ロゾフスキーのスターリニスト「赤色労働組合」運動が、山猫ストをも手段に貶しめての官僚制的労働組合の「乗っ取り」に堕落してプロレタリア運動の原則と矛盾するに至ることを教訓としなければならぬ。われわれは、山猫ストに現われるプロレタリア運動の原則と今日の官僚制的労働組合の衝突を意識的に闘い抜き、その“乗っ取り”ではなくて、革命的破壊的な作り直しにまで貫徹せんとするものである。
 次に、われわれの突出した政治的大衆ストライキの鋭い先端を全く捨象したと仮定せよ。そこでストライキは全く民同の予定通りに開始せしめられ、かつ、終息せしめられたにしても、そのストライキが、多かれ少なかれ、大衆的なスト実という独立的闘争組織をもってする全力の遂行にもかかわらず、そうせしめられたとしよう。
 この独立的なスト実そのものが、民同に抗してまたは、民同に力をもって承認をもぎとって存在したのならば、それだけますますよい。それはそれだけ、闘う労働者が自分で「自由に行動し、討論する」(決定と執行の分離の止揚の出発、さらに精神労働と肉体労働の分離の止揚を不可避とする事柄がすでに孕まれている!)団結として労働者を成長せしめる偉大な方策となり、こうしてますます、民同を桎梏として感受するのみならず、そういうものとして意識するようにさえなる!
 だから官僚どもは、こんな団結をもっとも恐れる。それには、怒りに狂うほどだ。だから、止むを得ずそんな機関をつくらざるを得ないようになればいつも、官僚化した組織の下請け機関に止めようと最大限の努力をはらうのだ。スターリニストの「民主化行動委員会」や種々の「実行委員会」のみならず、かの反スタ・スターリニストの東大文学部「スト実」も、そんな機関である。だから、東大文学部全共闘は、こんな「スト実」に対抗しながら育つほかはなく、現在の不屈の授業粉砕闘争は、これによって担われているのだ。そして、下請けの「行動委員会」や「スト実」でも、ないよりはあったほうがマシである。生ける労働者は、団結において、また、団結を通じてのみ、人格的自由を発展せしめ得る。ただしこの場合、その官僚制的組織を桎梏とするように発展するのだ! こうして、「民主化行動委員会」は、いたる所で、労働者をその行動の一環に参加させようとすればするほどパンクし、反動的にのみ、再生産されている。かの下請け学生「スト実」にして然り、まして、労働者においてをや。――すなわち、団結は、生ける労働者諸個人の自立するための方策であることの恐ろしさを知れ!
 そこで、政治的ストライキが、本当に一つの政治行動である限りでは、その大衆は、権力に向けて街頭に進む。ことに、政治的大衆ストに力を尽くすスト実大衆は、自分自身の政治行動を強めて突き出さんとするかぎり、不可避的に街頭闘争を展開する。「生産点」に縛りつけるのが「組合主義的固定観念」だというのは、スペイン革命におけるアナルコ・サンディカリストの愴烈な街頭闘争は別にしても、理由のないものである。経済主義は、小ブル政治行動で裏うちされ得る。問題は、街頭で闘うか否かで組合主義であったりなかったりするのではなくて、街頭においていかに闘うか、いかなる破壊力の展開として闘うのか、ということにあり、政治的大衆ストライキの巨大な意義は、それによって、この工場制度を、「桎梏と感ずる力と熱情」が大きく動き出すこと、しかもその展開をはらんで街頭政治闘争に突き進むことにあり、労働者党の任務は、この現実的衝動を意識して“階級として”行動するべく、結びつけ、統一し、推し進めることにある。
 それでもなお、お前らのスト実は、反安保政治ストとしてすっきり打てたのではなく、民同的に「経済要求」にオッカブセただけではないかというものがあるとすれば、都職労大田、東水労を見よ、全金畑鉄工を、大阪労金をしっかり見よ、といおう。そこに、真正面から政治に関わる労働者によって、反安保・佐藤訪米阻止を主要動因としたストライキや工場占拠が闘い抜かれたことが見えないような、そういう一面的政治主義者や諸要求主義者が欠落しているものは、まず、諸要求にそのまま、オッカブセることができる政治的要求は、例えば、「核安保」のような没階級的な姿をとった小ブル的要求であるのに反して、われわれの追求する政治的要求は、諸要求の根底にある階級の共同的要求(例えば、労働者の社会的隷属を深化拡大せしめるための「アジア太平洋圏安保」粉砕)であること、次に、経済闘争の団結を条件に労働者が変化してこそ、労働者大衆の政治闘争の団結が生まれ(行動委員会の一面)また、後者の団結を条件にした労働者の変化によってこそ、前者の団結が強化拡大する(行動委員会の他の面、または、反戦青年委)のであって、団結を“条件”とすることなしに労働者大衆の階級的成長はなく、これなしのイデオロギーによっては、労働者大衆は同じ地平に止まっているにすぎぬのだということ、最後に、労働組合を官僚制に抗して生み直しつつ、更に本来の労働組合の限界を超えて広大な階級共同の世界に進む(そういうものとして、民同的桎梏に抗してそれを乗り越える)という組織的大衆闘争こそ、そういうものとしてラディカル(根本的)になることによって真に大衆的となる(諸特殊利害の寄せ集めではなくて、共同的・普遍的となる)今日のプロレタリア・ソヴィエト運動こそ、すなわち行動委員会運動である!
 この三点を、大衆闘争の組織化の問題として要約しておこう。
 第一の点について、反戦闘争または反安保政治闘争と、反合闘争または反産学協同闘争との関連の問題として見よう。われわれは、個別闘争とそれを底で貫く普遍的な社会的政治的運動という関連からして、「相互媒介的同時的推進」として展開するところの、「反合闘争の発展としての政治闘争」こそが、プロレタリア的政治闘争の展開だとしてきた。
 ところが、例の「革命的」ポッシビリストは、基地闘争が基地の「法的根拠」をなしている安保条約の破棄闘争に「高まる」とか、「教育学園闘争」が「教育政治闘争」へ「高まる」とかと、学園闘争または反合闘争(特に企業合理化反対闘争)と反安保政治闘争との関連とは、総体と部分という関連づけでは駄目で、「物的基礎」や「主体的推進構造」が違うから異なるといって、あくまでも「併行的(同時的)推進」だとして、「本質的結合」でも「形態的結合」でも「直接的結合」でもなく(!)、それと異なった意味で、一方から他方への「担い手」へと「高める」必要があるなどという。
 こんなもって廻った言い方の意味するものは、要するに、前の「高まる」と後の「高める」の間の相違の強調が示すものこそ、その「物的基礎」は総資本の運動ではなく、だから全ブルジョア政治は資本家階級の共通利害の政治的表現ではなく、従って安保は「何のための」が捨象された基地問題であり、だから、個別資本との“大衆闘争”または部分的団結が資本制生産の一般的外的条件を維持するための近代国家と衝突する“階級闘争”へ高まるのではなく、「沖縄核基地つき返還策動」粉砕というような小ブル的政治に「高める」ということだが、われわれは、大衆闘争そのものを必然的な発展としてプロレタリア階級闘争に「高める」のだ。
 この「必然」とは、合理化が資本の必然的な運動だということからして、一方では、どうせ敗けるから大衆闘争は「改良」どまりでということ、他方では、大衆闘争と区別された「革命闘争」にすがりつく「革命狂」ということとの二極対立的展開を突破して、まさに反合を闘い抜く大衆闘争そのものが、それを貫徹せんとする限り、必然対必然、普遍対普遍として、総資本の運動のあらゆる政治的擁護と推進に敵対する階級闘争(これがプロレタリアの現在的な革命闘争であって、これと区別された「革命闘争」などあり得ないのだということを重々銘記せよ!)として組織され、発展せしめなければならぬということである。小ブル的事態は改良主義的大衆闘争と「革命狂」とに公然・隠然と二極分解せんとしているのだ。
 だから、第二の点について、反戦青年委員会と行動委員会運動との関連の問題として見よう。反戦青年委員会は、まず、政治(反戦)から出発し、これに反して、行動委員会は、先ず、職場の直接的現実から出発する(厳密にいえば行動委員会運動そのものが二つの起源をもつ)。一方は、他方からの、現実の生きた闘争による“媒介された直接性”として、それぞれが、階級的・質的に強化される。
 反戦青年委員会は、行動委員会の闘いに媒介されてプロレタリア的政治闘争の質を強め、行動委員会は、反戦青年委員会の闘いに媒介されて普遍的な政治闘争へと自分を高める。経済闘争も、それに政治闘争さえも、労働者党によって、まして、「前衛党」によってはじめて“創造”されたのではない。こんな党が存在するはるか以前から、労働者大衆は経済闘争を「自然発生的運動」として生みだしていたのみならず、ブルジョアジーや小ブルや、地主さえもの呼びかけで、政治闘争に引き出されてきた。その“改作”が、問題なのであって、一方から他方が、無から有が生じるような神秘で生まれるのではない。
 労働者大衆は、政治闘争において、自分の経済闘争に媒介されて、ブルジョア、小ブルジョアから身を引き離し始め、また、その政治闘争に媒介されては自分自身の政治闘争を形成しはじめる。その階級闘争として定立された組織形態が労働者党である。
 われわれを、経済闘争→政治闘争というように一面化して描き、ブントなどを政治闘争→経済闘争として対比するのは勝手な比較である。われわれは、断乎たる政治闘争と経済闘争、反戦青年委員会と行動委員会運動の相互媒介的推進の中から育ってきたし、それ故に、小ブル的政治と鋭く決裂してきた。「反合闘争の発展としての政治闘争」は、単に経済闘争→政治闘争なるものを示すのではなくて、獲得されつつあるプロレタリア階級闘争としての政治闘争という性格を指し示すものである。
 しかし、われわれは、反戦青年委員会の大衆闘争と行動委員会の大衆闘争が何度も引き裂かれるような経験をしてきた。そして現在でも、佐藤訪米阻止闘争においてまた、その経験をもっている――政治行動の最先端をゆく反戦青年委員会と行動委員会およびスト実が組織した労働組合員大衆の政治行動との間に。それ見たことか! と小ブル新左翼は言うがよい。
 われわれにはその原因がわかっている。小ブル新左翼にないもの、すなわち、階級として行動する労働者運動の発展がもつ特有の矛盾、すなわちプロレタリア政治運動=社会運動の成長過程の矛盾、簡単化すれば、行動委員会運動の分業を超えた連帯によるプロレタリア政治運動としての未発達は、他方、反戦青年委員会のプロレタリア政治運動=社会運動としての未発達であり、階級として行動する党の未発達であり、それ故に、行動委員会運動の(産別的)拡大と(地区的)連帯による大衆的政治闘争、階級として行動する党の建設という解決へと精力的にかきたてられる矛盾であり、この引き裂きを経験するたびに、われわれは、一歩前進したのであって、われわれはいまや、革労協=解放派建設と行動委員会の全国的連合によって、プロレタリア的反戦青年委員会と行動委員会が、二つに一つであることの一歩飛躍をなしとげんとしているのだ。こうして階級的革命的な大衆闘争の飛躍的拡大強化をかちとらねばならぬ。
 そこで第三の点について、労働組合と行動委員会運動の関連の問題として見よう。行動委員会運動は、“労働組合を出発点から生み直しつつ労働組合を超える”ということを、官僚制的桎梏に抗して展開する大衆運動である。それは、労働組合運動であるとともに、今日的なプロレタリア・ソヴィエト運動でもあるという大衆運動である。労働組合運動としていえば、すでに見た“労働組合の第一の資格から第二の資格へ”ということであり、ソヴィエト運動としていえば“労働組合を包摂してゆく大衆的政治闘争の組織化”である。こういうものとして、既成の官僚制的労働組合にとっては超越的内在=内在的超越の独自的大衆運動である。この運動の一面を取り上げて「内」か「外」かというのは、こうして無駄なことである。行動委員会は、職場行動委員会として労働組合を前進させつつ、種々の分業、つまり、職種、企業別、産別を超えた連帯をもって地区的に結集し、政治闘争を展開する。
 佐藤訪米阻止闘争の“敗北的前進”として、特に、この地区的結集を強調しなければならない。産別行動委員会運動は、これを拡大再生産するテコとして役立たなければならない。
 そして、既成党を桎梏として突破する分派闘争を通じて建設される労働者党は、“労働者大衆が階級として行動するために自分自身に与える組織形態”として、階級闘争を階級闘争として、定立し確立する。そして階級闘争は労働者大衆の革命闘争にほかならず、その“所産”としてコミューンを生み出すのだ! この行動委員会と党の統一体がプロレタリア統一戦線の独自勢力であり、次第に労働組合をはじめ、学生自治会、農民組合などの大衆組織の支持を獲得しつつ、プロレタリア統一戦線の実現形態としての全国評議会が支配階級の国家に対抗して構成されてゆく。
 われわれはドイツ革命におけるレーテの悲劇を繰り返してはならない。
 発達した資本主義の国は、発達した分業体制をもち、それだけ、複雑に分岐し、発達し、かつ、「元来の目的」に押し止められることによって歪曲された官僚制的労働組合をもっている。この労働組合の不断の階級的変革なしには、蜂起したレーテは、労働組合によって粉砕されるであろう。ソヴィエト=コミューンとしてのソヴィエトの実現は、あくまでも国家としての国家の転覆の向こうに存在する。その意味では将来に属するし、現在的にはこの「ソヴィエト」のための闘争である。だがこの現在における階級的組織的大衆闘争なしには、ある晴れた日に「一定の情勢のもとで」登場するまでは、将来のソヴィエトを現在の理念にきりつめたエセ「前衛党」や、単に“階級”ぬきに「行動する党」や、労働組合からのハミ出しではなくて離脱にすぎぬ「ソヴィエト運動」では、階級闘争の所産としてコミューンを生み出すなど、決してできはしない。そして逆に、この小ブル運動は、自己自身を固執するならば(そうしないことを望む)、コミューンを粉砕する側にまわるよう余儀なくされることに、注意しよう!

四、階級闘争にとっての党といわゆる「改良と革命」
  ――小ブル新左翼の“肉”(世俗的宗派)と“霊”(神学的宗派)の分裂を両極ながら廃棄する革命的労働者党を構築せよ!

 ここで佐藤訪米実力阻止闘争を展開した諸勢力自身の問題を、いわゆる「改良と革命」の問題として要約的に見ておこう。
 そうすることによって“工場からの反乱”を全力を挙げて推進してきたわれわれが、プロレタリア解放闘争にとっていかなる位置にあり、われわれが六〇年安保闘争の敗北によって引き出してきた“労働者階級の独立”という教訓を「革命の現在性」として如何に推進しているのかを、「佐藤訪米実力阻止」の勢力における他党派への態度として際立たせ、日米両国政府の「共同声明」によって出発せしめられた“アジア太平洋圏安保”を粉砕する闘争を、労働者階級の解放に向けて闘い抜くに、道を誤らないようにしよう。
 さてこう言うものがいるのであった。「反代々木行動左翼集団」という「肉体派」が、いまや「武装蜂起宣伝集団」と「山猫スト待望派」に「二極」分解したと。大体、「肉体派」に「二極」などあろうはずがない。肉体派がいるのならばユウレイ派がいるというものだ。六〇年安保敗北以降、小ブル新左翼は「二極」分解をたどり、まさに“肉”と“霊”とがますます分離し対立してきたのであって、われわれはこの二極を二極ながら廃棄し、精神と肉体の統一を回復してゆかなければならない。この相互に敵対しつつも相手を消し去ることのできなくなっている“肉体派”と“ユウレイ派”の今日の代表は、いうまでもなく『中核』と『革マル』である。そして彼ら両方が、アジア太平洋圏安保によって労働者の社会的隷属状態を深化拡大せしめんとしているブルジョアジーと、それに真向から敵対しつつ革命的に独立せんとしているプロレタリアートとの間で、どんな中間派ぶりを示すかを見つつ、革命的プロレタリアートの進むべき道を踏みしめてゆこう。
 『中核』はかの「肉弾の思想」を掲げているのだが、『革マル』のいうことを少し詳しくみよう。
 ――「大衆闘争と革命闘争との区別と連関」を明確にしているのでなければならない。大衆闘争は、それ自身ではどこまでも「改良的民主主義的」なのであり、「改良的経済闘争」であり、また「改良的政治闘争」であるに過ぎず、たとえ「機動隊をせん滅」し、「政府をフッ飛ばす」ことができたにしても、それは「改良的」にそうしたに過ぎない。そして「階級闘争」は「大衆闘争」である。だから「大衆運動主義」者は、「階級闘争の現象的な高揚を自己目的化」するものであり、「闘争形態の戦闘化と量的拡大の延長上に革命を想定する連続的発展観」であり、つまり革命を大衆闘争の「単なる量的延長関係」において想定しているのであり、彼らが「行動する党」や「前衛党」を言うにしても六〇年安保ブントのように「前衛は大衆運動の指導部でなければならない」というようなものは何ら前衛党ではなくて、大衆闘争=改良闘争の過激化と量的拡大のための「プラスアルファ」に過ぎないものであり「そもそも彼らにあっては大衆闘争の革命闘争化という視角を前提としている」のだし、階級闘争=大衆闘争の戦闘化や高揚をそのまま革命闘争だと夢想するのだ、と。――だから彼らは「肉体派」だと。
 そして革命闘争とは「国家権力の打倒」であって、それは大衆闘争それ自身の運動の延長上にはない質的に異なったものであって、それは「前衛党」の課題であり、しかも革命を単に将来に「彼岸化」してはならず「場所的現在」における「主体的推進の構造」をもたなければならぬのだ(彼ら「肉体派」は「国家権力の打倒=革命闘争を党が場所的にいかに実現するのか」と「主体的に問題が立てられない」のだ)というわけだから「革命前的情勢として今日の階級情勢を主観主義的に想定」しない以上、それでも「革命闘争」を現在的に推進するのだとするこの『革マル』は、「現在の革命闘争」の推進は、「大衆闘争の革命闘争化」(それは前衛によってでなければ不可能であり、大衆闘争それ自身では戦闘化するだけだとされている)ではないとされたところの、すなわちこの「大衆闘争」=「階級闘争」から「区別」されたところの、つまり現実には何も「闘争」などしない「イデオロギー的組織的」な「前衛党的建設」だとなり、「一定の情勢のもとで」、この「前衛党」が「革命闘争」を号令し、この「党」が「拠点」(「テコ」ともいわれたりしている)となって、かのそれ自身ではどこまでも「改良的民主主義的」な「階級闘争」を「革命闘争」に転化する、というわけである。こういうことをもって「社民・民同支配下で、戦闘的大衆闘争を実現し、その只中で場所的に党建設を行ない、そしてそれをまさしく拠点とした一定の情勢のもとでのソヴィエトの建設」がいわれる。
 以上を要するにこうである。階級闘争=大衆闘争=改良闘争。それ自身では階級闘争はどこまでも革命闘争にはならない。どんなに戦闘化しても革命化してはならない、もっと正確にいえば革命化などあり得ないし、だから革命化したと思ってはならない! 現実に革命化したら?(後でみるが階級闘争は不可避的に革命化するのだが!) それは止めさせなければならない! 何と思ってか? それは革命化ではなく「職業的挑発集団」の「挑発」だと思って! 「階級闘争の左翼的展開」とは彼らにとってはどこまでも現在では「改良闘争」の枠内なのであり、「左翼的(戦闘的)革命的推進」と彼らが言っていることは間違えて聞いてはならない! それは大衆闘争が革命化しつつあるのではなくて、その背後で「前衛党建設」が行われていることだけを意味するのだ! これが「改良闘争の革命的推進」なるものだ! 全くややこしいがまた全く単純なことなのだ。彼らが「革命的」といってもだまされてはならない! 現実にはただ「改良」をやっていることなのだ。ところが彼らの現実は「場所的立場」などというオカシナものによって、何も現実に「革命」の感性的活動がなくても現在において革命闘争をやっていることになるのである! このユウレイは全く普通の人間の言葉を使うなどしていないのだから、現に「改良」(いいかげんにか日和見的にか「厳密」にか「現象的に過激」にか)しっぱなしであっても、こっそり「イデオロギー的組織的」に「前衛党建設」をやっておれば「革命的」となるのである。
 こうしたユウレイ用語を彼らは「厳格」に用いている(「厳格」にしなかったら彼ら自身が全く混乱してしまうのだからその用語習いの学習会に精をださなければならない)わけだ。しかも、このユウレイ用語には大きなお布施がついてくる。いいかげんな「戦闘化」でも「革命的」と「厳密な概念」をもって語ることによって、一方では、「彼が何を言っているかではなくて彼が何をやっているか」で人を見る普通の人間は、戦闘的な人間であればあるほど大いに「反発」すれば「この現象主義者め! 本質が見えぬのか!」(見えないはずだ、本質がこうしてユウレイ化しているのだから)という罵倒がハネ返って来て首をすくめる。他方では普通の人間のもう少し日和見的なものを、その程度の戦闘化を革命的だと思わせて安心させしかも「前衛」の立場から思い上らしてやることができる。全くよくできている! 全くほんもののサギ師用語だ! このサギ師的ユウレイの秘密をもっと暴露してゆこう。
 このユウレイの固有名詞は「日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派」である。この名前のように「革命的」の二乗なのだ! この「革マル」主義が如何に革命的マルクス主義と異なるかを、さしあたってパリ・コミューンというプロレタリア革命についてのマルクスの見解と簡単に対比することから始めよう。この「革マル」は「革命闘争」をあれこれの政府打倒などではなく「国家権力の打倒」だという。マルクスは『共産党宣言』で、「プロレタリアートによる政治権力の獲得」といったが、このユウレイ用語はプロレタリア革命をあらゆる国家としての国家の“転覆”として言いたいのだろうとして(「労働者国家」ももはや国家としての国家ではないものとして)いまは問わないとして、いずれにしてもそれは“コミューン”の樹立を意味する。実際にも彼らは革命の問題は「ソヴィエトづくりと前衛党」の問題だという。ところでマルクスはこの“コミューン”を「階級闘争の所産」だという! すなわち、革命的マルクス主義は、「革命」は階級闘争の「所産」といっているのだ。「それサンジカリストめ!」とマルクスを罵倒せよ! この「革マル」主義者は階級闘争=大衆闘争が革命を生みだすなどはマルクス主義のイロハのイも知らぬものと考えるはずだ。それによって階級闘争と区別した所にもう一つ「革命闘争」を想定しているのだ! 「革命」×「革命」=第二ブルジョア革命!
 階級闘争は大衆闘争であることを疑い得ず、その大衆闘争はどんなに展開したとしても、その突き出す一つ一つの課題や要求のどれを挙げてみても、実際いずれも「国家権力の打倒」という普遍的なもの、この国家権力そのものと矛盾的に衝突するものとは思えないのだから。要するにこうして大衆闘争である階級闘争はどこまでも改良闘争だと考えるほかはないのだから。こうして階級闘争と革命闘争を区別しているのだから。こうしてマルクスが階級闘争の所産といったものをその“過程”と“結果”を引きはなしてしまう。結果=終点は始点になければならぬ、すなわち観念的には目的として。従ってこの“過程”と“結果”の引き離しは“過程”自身を分裂せしめて“条件”と“目的”(そのためには何も感性的現実的活動はしなくてもなお活動していると想像された活動としての「イデオロギー的組織的」活動)の分裂となり階級闘争はこの“前衛党”の人間という材料、つまり単なる肉体になる! どこまでも自分では「改良闘争」しかやれずこの「前衛党」によって救済の飛躍をしてもらわなければ革命にゆけぬ材料。そして“革命的瞬間”までイデオロギー的「実体」でしかない“革命それ自体”としての「前衛党」。全く血肉を削り落としてユウレイ化した“革命プロパー”に奉仕するイデオロギー官僚(大坊主・小坊主)どもの神学的「前衛党」。改良から革命へと飛躍するため「場所的現在」において階級闘争から「外」に飛ビ出テしまったこの「前衛党」。この飛ビ出シをさらに見据えよう。
 この「革マル」主義者は、大衆闘争または階級闘争と革命闘争との「区別と連関」を、「改良」と「革命」というように区別して「と」で結ぶ。つまり「改良と革命」だ。その発展段階は二段階に分かれる――「改良」の段階と「革命」の段階へ。そして「革命」を単なる将来へ彼岸化してしまった「改良主義者」であってはならぬと「革命」を「それ自体」として現在に据えつけようとする。ところで、マルクスがブルジョアジーの発展段階から示唆しているように(『哲学の貧困』)、プロレタリアートの発展段階は二つの段階をもつ。プロレタリアートが支配階級に反抗して自己を階級へと形成する段階と、階級へと形成したプロレタリアートがブルジョアジーの支配を打倒してプロレタリアートの政府を樹立し社会革命を遂行してゆく段階とへ。第一段階の終点でありかつ第二段階の始点でもあるものが“コミューン”の樹立である。
 そこですぐわかることは「革マル」主義者が「改良」と「革命」としているものが革命的マルクス主義にとっては「プロレタリアートの階級への形成」と「コミューン」であることだ。これに注意せよ! 「革マル」主義者は、組織については、第一段階の「改良」について「大衆闘争」の組織すなわち「大衆組織」を、第一段階の終点=第二段階の始点である「革命」について「場所的現在」において「革命組織」(革命それ自体として)である「前衛党」を、というわけである。ところが革命的マルクス主義にとっては、「革マル」主義者が「改良」(とくに「改良的政治闘争」)としたところが階級形成であり、組織としては階級組織である。「改良」の要求としたところが「階級」の要求である。こうみれば、『共産党宣言』で「階級への形成したがって党への構成」といっている個所は、その党は「階級」の要求のために階級として行動する党ということがはっきりする。だからこそ『共産党宣言』は「共産主義者はそのほかのプロレタリア党と次の点で全く同じである。すなわち、プロレタリアートの階級への形成、ブルジョアジーの支配の打倒、プロレタリアートによる政治権力の獲得」といったのだ。
 第一段階の終点をも含んだ全過程をいっていることに注意せよ! 「改良」=大衆組織、「革命」そのもの=党ではなく、「階級」=党なのだ! いいかえれば革命的マルクス主義者は「革マル」主義者が「改良」と「革命」に二極化したものを「階級」として統一しているのであり、「大衆組織」と「前衛党」に二極化しているものを「労働者党」として統一しているのであり、党とはこうしてはじめて共産主義的前衛とプロレタリア大衆の統一なのだ! 実際、マルクスとエンゲルスは党を“労働者大衆が階級として行動するために自分自身に与える組織形態”と正当にも規定しているのだ。
 だからこそ第一インターナショナルは「プロレタリア大衆は党を構成することによってはじめて一階級として行動できる」といい、自己の任務を「自然発生的運動を(階級として)結びつけ統一するだけである」といったのだ。「革マル」主義者ならぬ革命的マルクス主義は、「大衆闘争と革命闘争の区別と連関」や「改良と革命」などではなくて、「自然発生的運動」(「部分的団結」)と「階級としての行動」(「普遍的団結」)というように問題をたてるのである! 幾百万労働者大衆が階級共同の運命をその手ににぎる能力を発達させ、こうしてまさに現実の個別的存在において普遍的で共同的な存在となることこそ、実際、彼らが忘れてしまっていることである。
 「階級として行動する党」といえば、それでもなおどこまでも改良的なものとどこまでも革命的なものとしかしらぬ「革マル」主義者は、こんなものは全くの大衆組織だといったり、全くの前衛組織だと思ったりという、それこそ二極分解的な解釈をひねくりまわすかも知れぬ。実際、『組織論序説』にだったか、「外」なる党から労働組合や他の党派の「内」に「フラクション」を通じて降りてくるのを、他党派についても労組についても一様に「加入戦術」だとか「分派闘争」だとかいっていたのは偶然ではない。だから後から他党派の場合と労働組合の場合は分けて考えなければいけないと言わなければならぬほどであり、それでも彼らにとって階級闘争=大衆闘争はどこまでも「改良的民主主義的」なのだから、「行動する党」(『共労党』)などはそのプラス・アルファに過ぎぬのだから、「改良的」経済闘争と「改良的」政治闘争のための組織に分けて理解すること位しかできないだろう。定立された階級闘争は階級として行動するということだ。それでもこのことを前衛党の革命的イデオロギー闘争だとか、いや完全な改良的大衆闘争だ、その「区別と連関」だとか、ひねくれてしか考えられないものは、「階級」の要求ということを一寸でも考えて見ればよい。
 労働者党の要求は階級の要求である。労働者の階級としての要求は、例えば「十時間労働法」であり「相続権の制限」であり、さらに「働く権利」などである。ところがこれら一つ一つを個別的に孤立して取り上げてみればどれもブルジョア国家やブルジョア社会と矛盾するとはみえない。「働く権利」にしてもその向こうには賃金労働の廃止を突き出しているとはいえ、賃金労働の廃止そのものではなくて、多かれ少なかれの程度では現存の国家または社会の枠内で「実現可能な」ものとされ得る。マルクス・エンゲルスが「過渡的諸要求」または「過渡的諸方策」としてあげているものもすべてこのようなものである。
 そこで、過渡的要求が階級的要求だとしてもそれらはすべて改良的要求であり、したがってそれらを掲げて行動する党は改良的政治闘争の党であり、要するに「前衛党」という革命党では少なくともなく、むしろ大衆組織ないしそのプラス・アルファーだ、と「革マル」主義者はいうことができるように見える。しかし階級的要求が同時にプロレタリア革命への過渡的要求たり得るのは、何故なのか? それは、その一つ一つを孤立的に取り上げれば改良的であるが、それらの現実の相互関連または生きた全体は革命的であるということである(だからエンゲルスは、これら諸要求、諸方策について「それらいくつかは民主的社会主義者もやるというが、その全部を彼らは決してやらない」といって、その総体はただプロレタリアートの支配の下でのみ遂行されることを示唆し、マルクスはブルジョア独裁の下でその要求が部分的に実現される場合は、その限りで、それは「プロレタリアートの受託者になっている」といい、また彼らは「これらの一つにでも手をかけるや次々に手をかけてゆかざるを得ないようになっており、こうして労働者は自分自身を乗り越えてゆくものだ」という。これら諸要求を、ブルジョア独裁の下でか、それともプロ独の下でか、とふり分けるように頭をひねくる論議は、これらの階級的諸要求そのものが、ブルジョア独裁の下では部分的に、プロ独の下では全体として実現されるというように、現実の生ける全体を理解できぬものである)。
 すなわち国家と現存社会は、労働者党の階級的な要求を個々に孤立的には認めることができるが、その総体を決して入れることはできないということである! 一般的にいえば労働者党の階級的要求=政治的要求は個々には改良的であるが、その相互関連または全体は、国家と現存社会に真向から衝突するものとしてこそ、まさに革命への過渡的諸要求であり、そういうものとして改良的であると同時に革命的要求である! 階級的政治的要求はただひたすらに革命的な要求とただひたすらに改良的要求とにわかれているのではなくて、改良的で同時に革命的要求として過渡的諸要求である! だからこそこの要求、労働者階級が階級として次々に提出するこの階級の要求のために行動する労働者党は改良的でかつ革命的なものとして幾百万労働者大衆の真実の革命党である。
 だから、その“肉”において全く改良的、その“霊”において全く革命的というような階級闘争の「外」に飛び出して階級闘争に対して命令し睥睨する「区別と連関」などは、全く、幻想的「革命」をオッカブせた、どこまでも改良主義者=「革命的」ポッシビリストでしかあり得ないのだ。
 こうして革命プロパーは独立化してユウレイ的「前衛党」などに体現されるのではない。生きて働く“革命そのもの”、すなわち生きて働く“革命の現在性”は、ただ“生きた階級的諸要求の総体”としてのみ現実に存在するのだ! プロレタリア革命はこうして階級闘争、即ち階級として行動することの全面展開であり、労働者党=革命党と労働組合をはじめとする大衆組織の統一体の闘いのまさに延長線上にあるのだ。人間一般はまさに生きた個々人の総体としてのみ現実的なのであってこうして神は滅びるのである! 「革マル」主義の「前衛党=革命的労働者党」などは、ユウレイとして滅びなければならぬ。まさにフォイエルバッハがゲーテを引用しつつ言ったこと、すなわち、「人間一般は生ける人間の総体としてのみ現実的一般なのであって、一人の人間におけるその余すところなき体現ということはまさに奇跡で、それは現実世界の総体の破壊であるだろう」ということを、「革マル」主義ならぬ革命的マルクス主義は、しっかりと踏まえているのである。
 結局のところ、「改良と革命」というようにしか問題をたてられないものは、それによって“階級”を消し去っているのである。小市民も、労働者の“よりましな生活を”という要求は認めるのだ。しかし、“階級”を実際に問題とするや、没階級的な「改良と革命」ではなくて「現存社会の改良か革命か」というように問題が立つ。小市民の要求の全面展開によっては社会改良にしか行きつけぬに反して、労働者の要求の全面展開は、その根本的革命に行きつくほかはない。だから、どこまでも「改良的」な大衆運動とは、小市民の大衆運動のことである。
 どんなにその大衆運動を戦闘化しても、戦闘化を自己制限しても、この大衆運動を推進する党を「ボルシェビキ党」と呼んでも、その大衆運動から区別された革命そのものの党を「レーニン型前衛党」と呼んでも、政府を打倒しても、たとえ「ブルジョア国家権力の打倒」や、ある晴れた日に急遽にか、いまから徐々にか、「ソヴィエトづくり」をしたにしても、せいいっぱいで小市民の支配を実現するにすぎず、プロレタリアートのコミューンによって、もう一度、粉砕されなければならない。
 つまるところ、どこまでも改良的でしかない小ブル大衆運動にくっついた「プラス・アルファ」の党は、小ブル肉体派の党、「世俗的エゴイスト」の党、小ブルの「実践から出発した党」として、プロレタリア階級運動に対立する世俗的宗派であるほかはない。他方、どこまでも改良的でしかない大衆運動という小ブル大衆運動から頭を引き離して区別した党だとしても、それは、どこまでも「改良的」な大衆運動から区別したにすぎず乗り越えたわけではなく、その党がやれることは現在の改良的大衆闘争の戦闘化を制限して、この区別され引き離された小ブル前衛党が、将来に延期されたその同じ戦闘化をやるために仕事を取っておいてやることにすぎない。こうして、現在的に小ブル幽霊党、「神学的エゴイスト」の党、小ブルの「哲学から出発した党」として、プロレタリア階級運動に対立する神学的宗派であるほかはない。
 この二つの「革命党」や「前衛党」を名のるところの社会改良しかできぬ改良党は、小ブルの窓から眺めて「労働者階級=人民大衆」とか「階級闘争」と「大衆闘争」の等置では、同様にのっぺらぼうである。
 実際、この大衆闘争=階級闘争から「区別」したといっても、そのなし得る区別といえば「帝大解体」なる戦闘的だが改良闘争にすぎぬものについて「管理運営制度や教育研究制度そのものの否定ではなく、官僚的諸制度、前近代的諸制度など、教育制度の諸矛盾にかかわる問題を改良的課題として限定し」というように「前近代的……」という所まで(近代化そのものが今日的問題なのにもかかわらず)後退して自己限定することしかできないほどのジロンドになることしかできず(ジャコバンでも、同じレベルの要求を戦闘的に提出しているに過ぎぬ)、小ブル「前衛党」の将来の仕事に取っておくことしかできないのだ。それは、改良的であるべきだ、ではなくて、どこまでも改良的でしかあり得ない小ブル大衆運動にとっては、どんなにあがいても社会改良の地平を突破できぬ小ブル運動にとっては、戦闘的にやるか穏和にやるか、今やるか将来やるか、の区別しかでてくるはずがない。全く、カントを思い出さしめる。カントは、理論理性の仕事の領域を現象に限定することによって実践理性の仕事の領域を実践理性のためにとっておいてやった。それに対するフォイエルバッバの批判は「カントは制約を限定というように理解した」ということで、どんなにあがいても人間は人間以上に出ることができないということであった。ここでは、われわれは、もちろん、小ブル的世界の人間のことを問題にしている。
 小ブル肉体派の場合は、階級闘争=大衆闘争なるものにくっついているので、そのプロレタリア階級運動に対する宗派性は隠蔽されているような姿をとっているが、ユウレイ派の場合は、この点が全くあからさまに現われ出る。驚くべきほど単純な姿で、恐るべき宗派の姿が浮かび上がる。要するに、階級闘争=大衆闘争なるものからの「区別と連関」ということで、「宗派は階級運動と区別された所にのみ、自分の存在理由を打ちたてる」、「階級運動の外から、階級運動に命令する」「宗派は、自分自身の労働運動を持ちたがる」とする革命的マルクス主義の宗派についての規定は、全くもって厳格に「革マル」主義についての規定ではないか!
 また実際、この神学的宗派の階級闘争支配は、全くすばらしい! それは、その「フラクション」に端的に見ることができる。フラクションは、この宗派にとって、二重の意義をもたされている。それは、一方では、大衆闘争の推進機関であり、他方、「党」(この宗派)への学校である。これだけでは行動委員会と変わることがないように見える。ところが、「フラクション」は「党」なしには「フラクション」たり得ない。すなわち、全体として、したがって、大衆闘争の推進ということをもふくめて、全く「党」にぶら下がっている。それは何らの独立的な意義も持たない、つまり、その団結における諸構成員の変化と発達によるその団結の自由な改編は、あらかじめ、または、ア・プリオリに拒否されている。少なくとも、この「党」が消えるやその「フラクション」も消える。すなわち、党に一方的に、または一面的に、従属しっぱなしである。
 そういえば、こういう回答が返ってくるかも知れぬ。とんでもない! その大衆闘争の「左翼」的推進による「フラクション」構成員の変化は不可避的に「党」そのものに反作用する。「党」そのものは、それに働きかけること、及び、その結果を通じて、それが「党」そのものを対象として働きかけるという交互作用を知らないのか! と。しかし、その構成員を外的自然とおきかえても全く同じことがいえるのだ! 人間は自然に働きかけ、その働きかけ及びその結果を通じて自然が人間を対象に働きかけると。その際、自然は、ただ、人間において映現されるにほかはない。つまり、彼らは「党」そのものの外的自然的対象にすぎず、決して、生ける人格性としての肉体性として自由なのではない。すなわち、彼らの普遍性は、ただ「党」そのもの(実は宗派の教組)の普遍性として観念化されて映現するのであって、彼らが血と肉をもった人格性を主張することにいつもおびえ切って大騒ぎをしているほかはない。そして、「フラクション」は、労働組合員大衆に対してはそれを単なる“肉”とする“霊”として現われ、「党」そのものにとっては「フラクション」は“肉”にすぎず、従って、彼らの最高会議は、まさに“肉”と“霊”の宗教会議である! 要するに彼らが全く欠如しているものは“共同性”ということである。人間の人間に対する“人間”的態度ではなくて、人間の人間に対する“自然”的態度であり、個々の人間の他人に対する関係態度を外的自然に対する関係態度と同じものとして「社会の発生」などがいわれるのだ。「プロレタリアートの自己解放」がどんなにいわれようと、実際にはプロレタリアートはそれを見る「外」なるユウレイの自然的対象として、“肉”でしかない!
 このような関係態度は、他党派の「解体」戦術において、全く驚くべき奇怪な姿をとることになる。
 他党派を異なったユウレイの化身として、重々「イデオロギー闘争」が強調されたあとで、そのイデオロギーの実体化したものそのものの撲滅に入るのである。彼らの「加入戦術」は、そのための一手段である。つまりどんなにイデオロギー闘争を強調しようと、それは厳密な意味で“陰謀”である。何故なら、共産主義者が「陰謀を単に無益であるばかりか、有害である」とし「自分の見解と意図をかくすことを恥」とするのは、恥を公言するほど恥さらしになればいいというようなことではなくて、幾百万労働者大衆の自立のためであるのだから! このような他党派「解体」は、まさに、バクーニンの「相続権の廃止は社会革命の始まり」についてマルクスが「その乱用の制限」をいって、現実的基礎の変革なしに上部構造だけを消さんとすることを非難し、「それは攻撃すべき陣地から労働者階級をそらすものであり、理論的に誤謬であり、実践的には反動的」といったように、諸社会階級が現実に存在しながら、そのイデオロギーの化身のように理解された諸党派を滅却せんとするものとして、イデオロギーの「相対的独自性」をいいながら、それを独立化せしめ、「基底体制還元主義」批判の驚くべき到達点であり、「場所的現在」における「主体的立場」の腐れ果てたなれの果てである! “霊”との全くの分裂!
 マルクスは、青年ヘーゲル派への批判を通して市民社会における「神学的エゴイズム」と「世俗的エゴイズム」の二極を暴き出した。今日、この「二極」が小ブル新左翼において新しい装いをこらして再生産されているのである。小ブル大衆運動の全面展開は、社会改良に行きつくだけである。労働者の階級運動は、この現存社会の根本的な革命に行きつくほかない。だからこそ革命的労働者党はこの階級運動から区別されるべき何ものもない。労働者の現実的衝動を意識し、「労働者の自然発生的運動を結びつけ、統一し、共同のものとする」(マルクス)のみである。共産主義的前衛は、その最も推進力をなす断乎たる部分である。革命的労働者党は、「職業革命家の党」とは全く異なって、どこまでも“労働者大衆が階級として行動するために自分自身に与える組織形態”である! そこには現実に肉体労働にたずさわっている人たちが自らの意志のもとに自らの労働を支配することがすでにはらまれている。こうして、小ブルにおける“肉”と“霊”との分裂は、労働者の階級闘争において止揚されてゆくのである。
 われわれも、既成党の「解体」ということをいう。しかし、小ブルどもの、その醜悪な「実体的解体」とは異なって、それからの労働者大衆の徹底した訣別と自立の分派闘争である。彼らが労働者の発展にとって桎梏である限りわれわれは断乎たる鉄槌を下すであろう。それでももたもた生きている党派はそのままにしておこう。階級対立にもとづく現存社会の根本的変動とともに彼らは自然に消えてゆくのだから。

※原題「佐藤訪米阻止闘争の“敗北的前進”として、日米共同声明粉砕・政府打倒のプロレタリア統一戦線を強大に発展せしめよ!」

(機関紙『解放』四四〜四六号 一九六九年一二月)


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